しまもと百人一首日記

島本を探索しながら百人一首を紹介する日記

アドプトリバー水無瀬川

百人一首の歌のかけらを拾い合わせると、後鳥羽院が、愛した

水無瀬川の歌織物が現れる。

その地は現在の 大阪府島本町。歌の場所に合わせて島本の場所を巡って行くと、小さな謎を発見するのです。

 

アドプトリバー水無瀬川

水無瀬の川沿いにはこの夏もひまわりが咲いていました。

実は、東日本大震災の時に戴いた、「ド根性ひまわり」の子孫たちです。

 

今も島本町のボランティアさんが、大切に継承してくださっています。

 

<今日の一首>

30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし 

                    壬生忠岑(みぶのただみね)

 

 明け方の月が無常に見えたあの別れをした日から、夜明けほど つらいものはないのです。



現代の人には、すこし平凡に聞こえる この歌は、百人一首を選んだ 藤原定家

後鳥羽院 も絶賛だったとか。

なぜか?

 

それは読む人によって、想いが変わってしまう歌だから。

恋人に逢って、別れる時間がきて、悲しい とも

初めから女に会えず 哀しい とも、

その他多くの説があるという。

日本語には、古来から、見る人の心に任せる 

無限の余白

みたいなものが、脈々と受け継がれているのです。

 

水無瀬の滝

  島本町は お水の美味い 地域です。

  島本町民は、

  「島本の、ええとこ は 水が 美味しい」

  と言います。

  その水の源は 何といっても「水無瀬の滝」

水無瀬の滝にて

  この滝は 天王山が源で 20メートルの高さがあります。

  でも 昔はもっと立派な滝だったそうで・・・

 

  雨水の神様も祭られていて 年に一回 お祭りがあったそうですよ。

 

 <今日の一首>

 55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ

                          大納言公任

 訳 昔 流れていた 滝の音は なくなってからずいぶん長い年月が経つけれど、

   素晴らしかったという評判は今も残っています。

  詠み人の 大納言公任さんは 平安時代 最も華やかな時の朝廷の重臣の一人で、

  自ら歌集を選んで残した人物です。

  滝が絶えてしまっても、名こそ流れてなほ聞こへけれ

 

  うーん華やかな 野心の香り!!

  「自分の名前も後世に残ったらいいなあ」

  と公任の声が聞こえてきそうです。

 

  安心してください 公任さん

           しっかり残ってますよ!!

はじめまして

百人一首の うたのかけらを拾い合わせると、後鳥羽院が愛した水無瀬川の歌織物が現れると言います。

私は島本に住んでいる 大阪のおばちゃんです。

コツコツと絵を描いて過ごしてきました。

書き溜めた日本画

今 住んでる島本町は、美しい町です。(キラキラと輝く水無瀬川と緑豊かな山、町のあちこちで

おじいちゃん おばあちゃん達の立ち話が聞こえてくる・・・。

水無瀬神宮にて

そんな可愛らしい町には、かつて 承久の乱をおこした 後鳥羽上皇が愛した土地でもありました。

平和で雅な平安時代から、武士の世の中に変わっていった 波乱の時代

上皇様は何を考え、この土地にどんな和歌を残したのでしょうか?

 

今日の一首

春過ぎて 夏木にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山

 

持統天皇の一首

訳 はるが過ぎ去って夏がきたらしい 白い衣がほされているという天の香久山よ

天智天皇の娘 持統天皇は子育てをしながら夫を助け 政治の面でも皇后としてサポートをし

また優れた歌人でもありました。

そんな才能ある彼女が仕事の合間にふと見上げた白い洗濯物を見て

「あー夏が来たのね・・」と思う歌

現代の働いている子育てママさんたちは、どんな時に、夏をおもうのでしょうか・・