しまもと百人一首日記

島本を探索しながら百人一首を紹介する日記

アドプトリバー水無瀬川

百人一首の歌のかけらを拾い合わせると、後鳥羽院が、愛した

水無瀬川の歌織物が現れる。

その地は現在の 大阪府島本町。歌の場所に合わせて島本の場所を巡って行くと、小さな謎を発見するのです。

 

アドプトリバー水無瀬川

水無瀬の川沿いにはこの夏もひまわりが咲いていました。

実は、東日本大震災の時に戴いた、「ド根性ひまわり」の子孫たちです。

 

今も島本町のボランティアさんが、大切に継承してくださっています。

 

<今日の一首>

30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし 

                    壬生忠岑(みぶのただみね)

 

 明け方の月が無常に見えたあの別れをした日から、夜明けほど つらいものはないのです。



現代の人には、すこし平凡に聞こえる この歌は、百人一首を選んだ 藤原定家

後鳥羽院 も絶賛だったとか。

なぜか?

 

それは読む人によって、想いが変わってしまう歌だから。

恋人に逢って、別れる時間がきて、悲しい とも

初めから女に会えず 哀しい とも、

その他多くの説があるという。

日本語には、古来から、見る人の心に任せる 

無限の余白

みたいなものが、脈々と受け継がれているのです。